さむい。
とうとうホットカーペットを出しました。
ついに湯たんぽを出しました。
寒さに負けた気がしてしまうよ!(体を甘やかしたら冬が越せなくなる、という恐怖心からなかなか暖房器具を出せずにいたのだよ。)
もうね、秋から冬っていや。
きらい。
生れ月の四月は肌寒いけど浮き足立ってて騒がしくて賑やかだからすき。
夕方になるとワクワクするような気分になる暑い夏もすき。
秋から冬、ってのは暗くていやだな。
とてもさみしい季節だと思う。
今日の本は沢木耕太郎の『無名』。
実は昨日この本について書こうと思っていたんですよね。
しかし冒頭で『深夜特急』のこと書きだしたら終いまでそれになっちゃったさ。
わはは。
この本は鬼籍に入った自身の父親のことを書いた本です。
読み終わり思ったのは、( あー、これを沢木耕太郎の父親が読んだらきっと恥かしがるのだろうな )ということだ。
無欲で透明な父親。
そんな彼の詠んだ句を集め、私家版として句集を綴る、というのが本の大筋だ。
自分の知らない若い時分の父親。
父の生い立ち。
子供の頃に接した父親の面影。
老い、みとるまでの僅かな時間。
そして死。
それが書かれている。
自身の親についてなにかを書き記す、というのはとても難しいことだと思う。
どんなに抑えようとしたって冷静な視線でありのままにとらえることなんてできないだろうからね。
なにかしらの感情がその文章の中に潜り込むよ。
でもその入り込んだ人間臭さに愛着を覚えてしまう。
泥臭さすらあるその感情こそが暖かさなのだと思う。
作中引用されるレイモンドカーヴー詩に死んでしまった父親を詠ったものがある。
Photograph of My Father in His Twenty-Second Year
October, Here in this dank, unfamiliar kitchen
I study my father's embarrassed young man's face.
Sheepish grin, he holds in one hand a string
of spiny yellow perch, in the other
a bottle of Carlsbad beer.
In jeans and denim shirt, he leans
against the front fender of a 1934 Ford.
He would like to pose bluff and hearty for his posterity,
wear his old hat cocked over his ear.
All his life my father wanted to be bold.
But the eyes give him away, and the hands
that limply offer the string of dead perch
and how can I say thank you, I who can't hold my liquor either,
and don't even know the places to fish?
“22歳の父の写真”というこの詩のとおりカーヴーの父親は10月に死んだわけではないらしい。
音もあるが、なにより幸福の記憶に満ちた6月に死んだという事実が父の死にふさわしくなく、陰鬱な10月こそがふさわしいのでそうした、とある。
しかし10月だって父親の死にふさわしい月だとは言えない。
なぜなら10月に死んだ父を持つ私は、父が桜の季節にでも死んでくれれば良かったのにと思っているからだ。
いや、たとえ父が4月に死んだって同じだな。
どの月に死んだって屁理屈をこねて現実を捻じ曲げたくなるのだ。
無慈悲な現実を突きつけられた子供たちのささやかな抵抗。
悲しい強情。
ただそこにいるのは父親の死を受け入れたくはない子供たちだけなのだ。