めっきり涼しくなってきましたなあ。
年寄りじみてくるぜ。
最近高校生との交流があり、余計に老いを意識するぜ。
そうだ。
私の萌え(思春期男女の泣きながらの口論)に対して、
「jamilamさん、それは萌ではなく老いですよ。」と指摘された。
…妙に納得した。
若い子たちのブルースプリングじんねり眺めてにんまりしてるんだからね。
そのものズバリ、失われた過去に哀愁の念を抱く老人の態ですよ。
笑っとけ。
今日の本は『船を建てる 上・下』です。
本当は『鯨の王』読みたいんだけども。
アレ重いじゃん。
今腕がアレでさ、重いもの持つと手が震えるんだよね。
で、さいきん漫画読む。
『鋼の錬金術師』も大人買いした。まだ読んでない。てか封も切ってないな。
だって『船を建てる』ちまちま考えながら読んでるから!
この人の『ヘブン』読んでものそい他のも読みたくなったのだがさ、有名な『船を建てる』というのがながらく絶版だったのよね。
で、読みたいなーとか思ってたら、
復刊!
平積みされてましたよ。
買って連れて帰りました。
『ヘブン』でも思ったけど、この『船を建てる』はそれが顕著だ。
なんていうか画面がものっそいスタイリッシュ。
空間の捉え方が独特なんだろうな。
そして細く潔い線なのに、この作家の描く線は乾いていない。
描線がいい意味でねっとりしてる。
これが作品世界を攻撃的なもの(オシャレでとんがったものとかそういう感じ)で無くしているんだろうな。
おなじく画面がスタイリッシュな楠本まきなんかは、ベタつく黒は無く、線が乾いている。
同じ白黒でもここまで違うものなんだなあ。
お話は、鯨解体工場で働く二匹のアシカ(煙草とコーヒー)を中心に、彼らを取り巻く世界について描かれています。
煙草とコーヒーが大変かわいらしい。
彼らは二匹でいることの幸福を享受しつつも、二匹でいることの孤独も同時に噛締めています。
それは喪失の記憶が生む孤独なんですよ。
この彼らの持つ漠然とした不安、悲しみは祈りを生み、救いをパレードという形の中に見出します。
(終わりまで読むとパレードの無限ループの意味が分かるようになっとる。すごいな。)
つーか、
これ感想と書くとものそい長くなるわ。
1話づつ感想を書きたいくらいだなー。
アシカのビリーとウサギのバニラの滑稽な不幸。(彼らは種族を超えた愛を全うするべく世界の果てへ逃げ出すのだ。)
ここには愛しかない。
ベイビー、僕はもう取り返しのつかないことになっちゃってるけど、それでも一緒に堕ちてくれるかい?
失くしてしまった大切な金歯を差し出した少女は彼に寄り添い続けるだろう。
二人でなら堕ちている最中の浮遊感だって、味わい舐めつくす事が出来るはずだ。舌先で感じるクスリの甘みを二人で感じながら堕ちていけばいい。
アシカの葉巻とビール。
あの広告の下で出会わなかったら?
ここで終わりになるとしても?
言葉のきつい葉巻は死の寸前にビールに言います。
「こんなふうに終わると分かっていたらもっと優しくしたのに」
聞きようによっては実に下らない台詞だが、このあとに続く、
「おまえはいいこだよ」
の言葉に泣かされた。
不安も無く、いいこだ、と言われればニコニコと微笑む事のできていた子供の頃に聞いたようなこの台詞。
この言葉に込められたビールを慈しむ葉巻の心に嘘はないだろう。
この言葉を捧げられたからこそ、ビールは葉巻にきれいなものをたくさんみせたい、みんなにも、と願うことが出来たのだろう。
この願いは祈りだ。
叶えられることのない祈りだ。
祈りは悲しみだ。
作者は悲しみに、パレードという形の救いを与える。
続く。
続いていく。
これが作者の優しさなのだろうなあ。
すごく優しい。
とてもあたたかく、優しい。
でもさ、この優しさあたりはいいんだけど居心地悪い。
私の頭の中には死んだらまた会える、とか来世とか、どうにも都合のいい不確かなもの、そういうの無いんだな。
私はそんなことに救いを求めたりはしないんだろうな。
だからこの優しさには寄り添えない。
理解は出来るけれど納得の出来ない優しさだ。
だって死んだらそこで終わりだからね。
生きているからこそ、思い出したり、夢を見て亡くしてしまった人に会ったりすることが出来るの。
そういうのは知ってるの。
誤魔化されたりしないの。
だから生きてがんばんの。
すげー悲しくてもがんばんの。
死んだりするのとかは真っ平ご免なの。
この本を読んでそれを強く再確認したな。